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何とも言えないクリスマスの思い出

クリスマス時期ですが、最近は以前と比べれば、なんとなく落ち着いて祝うようになっていますね。  

 

もちろんお仲間や個人で盛り上がっている事と思いますが、街全体は落ち着いているような。今は各シーズン・各月にお祭りのような行事があって、定期的に(?)日頃の溜まったものを晴らすことが出来るからでしょうか。 

 

 クリスマスには何とも言えない思い出があって、 トルコ人の元夫が日本に来て初めてのクリスマスの時、仏教が一般的であるはずの日本でクリスマスが盛んになっているのを見て、びっくりしながらも受け入れていました。 

 

イギリスにいた時も、周りのイスラム教の方々もみんな楽しそうにお祝いしていたのです。その時聞いてみたら、キリスト教をリスペクトしているから自分達もお祝いすると言っていました。   

 

だから平穏な年末になるはずだったのです。 

 

当時の日本では、恋人たちのクリスマスとか、クリスマスを一人では過ごしたくない為に、かりそめの恋人を作るとか、コラムとかニュースで特集が結構やっていて、それを元夫が知ってしまったのです 

 

急に日本の風紀が乱れていると怒り出し、日本の状況を「おかしい!」と怒り心頭で大変でした。 クリスマスで世の中が大騒ぎして、ハレンチになるのが気に入らなかったのです。 

 

だから、結婚していた間は、「キリスト教じゃないでしょ!」という言葉と共に、家ではクリスマスを祝う事を禁止になったのです。  私は確かにキリスト教ではないので、甘んじていました。 

 

「キリスト教じゃないでしょ」という言葉は、まだ思い出があって、 学生の時、クロスのアクセサリー・チャームがなんか流行って、私も興味をあって身につけた時に、誰だったか、「キリスト教じゃないよね」と注意されたような口調で言われ、(確か男の人)なんだか罪悪感みたいなものを覚えたことがあります。 

 

その後も、年月も場所も変えて、何気なくクロスを身に着けた時にもまた、「キリスト教じゃないよね」、と何回か言われ、 もう無宗教の人間はそういったものを好きだからという理由でつけてはいけないのだと諦め、クロス系のものはもう目に見えるところにはありません。 

 

この「キリスト教じゃないよね」という言葉は、今更ながら思い起こされるフレーズであるので、前世で宗教の何かに関わっていた時何度も言われていた言葉なんだなと思うと腑に落ちます。 

 

ともあれ、一度概念をリセットされたことで、クリスマスのいろんな飾り付けを観たり会話を聞きながら、それを肴にしてフラットにこの時期を過ごしています。 

 

いろんな理屈や制限を超えて楽しめる自由はやっぱり最高!と実感しています。