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「私ならそんなことしない」って・・・

「私ならそんなことしない」という言葉を最近よく聞きます。 

 

私ならばそんなことしない。本当にそうなのです。 相手の人は「私」じゃないから「そんなことを」してしまうのです。 

 

その言葉を聞くと、ずいぶん昔の話になりますが、モラハラ元夫の言っていた事を思い出します 

 

『なぜ怒らせたのが分からないんだ、よく考えろ!だからお前はダメなんだ。』とか 

 

『自分ならばこんなことをしない、…(歴史、民俗、宗教の)背景などをしっかりとらえ発言や行動を…そんなことも分からないなんてお前は×××』などといろいろ言われました。 

 

こうしたのがいけなかったのか、あれかも…と答えを探す日々。結局正解なんてないのですが… 

 

私は単一民族の日本人で、宗教も歴史の知識もあやふやで人間としてのしつけもされておらず、人として幼く未熟でどうしようもない人間ということをしっかりと自覚しなさいと様々な形で何度も言われたものです。 

 

ヒドイ話です。考えてみても元夫に会うまで、特に問題はなかったのです。許される範囲のはずです。でも、確かに礼儀正しく教養があるかと言われれば、そうとは言い切れる人間なのか自問自答で、そう言われてしまうと「ありません」と言うしかなかった。 

 

回りまわっていろいろ考えて、自分が悪かったとか、やっぱりモラハラ夫が悪いだろう、と行ったり来たりしてもやっぱり答えは出ないのです。自尊心を見失っているからともいえます。 

 

また、こういったパターンの思い癖を持っていると、たとえモラハラ夫じゃなくても、ミニモラ夫みたいな人が人生のどこかで現れて、言動は違っても、同じ様なパターンが繰り返し起こっているはずです。あるいは、自尊心を失いすぎて、周りの人の言動に敏感になり過ぎネガティブになっているかもしれません。 

 

このパターンは、天界を学ぶと分かって行くのですが、前世から何度も何度も繰り返しているパターンです。かなりしつこい場合もありますが、天界の光の中で魂の中からやめようと思った時にスコーンと抜けていく感じがします。 

 

それまでは、苦しいようでもひどくこだわって繰り返してしまうのは、それが楽だからでもあり、やめられないから…ちょっとマゾ的なのですね(笑) 

 

まさか!と思うでしょうが、結局人間そうなのかもしれないと思うと妙に納得するところがあります。 

 

そうは言っても、自分のパターンに気が付いているというのは、やはり貴重だなと思うのです。どんなパターンであれ、ここから抜け出したいと思っている魂と、パターンの存在すら気づかない魂は相容れないのです。この差はドンドン加速していきます。 

 

人・魂は個々と肝に銘じて、それぞれの魂を尊重していくと、「私ならばそんなことしない」と思ってイライラしたり、責め合って険悪になったりしても、「人は人、自分は自分」に気づくと何となく納得して楽になります。 

 

そして「天界と自分」という魂の大きな気付きがあります。